教育テレビが本気を出している

2009年1月6日に放送されていた番組「爆笑問題の教育テレビの逆襲」がとてもおもしろかったので、その中で紹介されていた偉人たちの名言をメモ。実際の言葉と文章にニュアンスの差があるものもありますがご了承ください。

武者小路実篤

「なにか自分の愛するもの もっと広い何かのために働いていく」
「なぜ自分がこの世に生まれているか 理解できないものに解答を与えずに 本気になれるものに本気になりたい」

川端康成

「私非常に怠け者なんですけれども 一面凝り性なところもありましてね」
「今興味あるのは…… 外国旅行ですかね」

湯川秀樹

「科学は真理を追究する限り、妙な自己制御をしないほうがいい」

岡本太郎

「いわゆる進歩と調和というのは逆だと思うんですよね 人間は少しも進歩をしていないでしょ? 科学的に、工業的に、産業的に、様々な面において進歩しているかもしれないけれども 人間的にみんなむなしくなってますよ 機械の奴隷になってますよ 「調和」というのは、ぶつかりあうことが「調和」なんであって、正反対のものがぶつかりあって両方が開く、と」
「芸術、芸術は爆発だ!爆発とは戦いですよ その戦いもぶんなぐったり蹴飛ばしたりするのが戦いじゃなくて、音もしない 何も飛び散らない だけど精神がバーッと宇宙に向かって爆発して 心が飛び散る モノは爆発しないんだけれども 心が宇宙に舞って飛び散ると……それが芸術ですね」

本田宗一郎

「(戦後、)一人一人が一生懸命には一生懸命だけれど、 それを一生懸命にさせたのは何かといえば、上の人の小言がないということ」
「自分の思うことだから精一杯やれた 命令されて仕事をやったんじゃない、ということ」

加山雄三

「昔、視聴率ではなくて視聴質というものを考えたことがある」

都留重人

「良くないことというのは英語でBadsといいますが 経済の上で買い物の対象になるものはGoodsといいますでしょ? グッズを作る過程でバッズが出る 例えば四日市で、商売で売られるものが作られる過程で大気汚染や水質汚濁というバッズが出るわけです 海外線の美しさをね、お金で言ってみろといってもそれはできません お金で表現できないような価値のあるもの、それが損なわれてしまう」

矢沢栄吉

「こないだ、成人式がありましたよね……ぼくはタクシーに乗っていて、式典が終わって体育館から出てくる振袖を着た人たちを見てた
タクシーの運転手に

「運転手さん、今日はいい天気ですね」
「15日、成人式にもってこいですね」
「さて、このなかで何人が幸せになれるんでしょうね」

と言った なんでそう言ったかというとね、いちばんいい頃よ、ハタチって ハタチの頃って何でもできるような気がする 自分だけが歳をとらないような気がする 自分だけがケガしないような気がする
こっから向こう10年間でハッキリ差がつきますよ やったヤツと、やらなかったヤツと……だから成人式を見てそれを感じたからぼくはこう言った 何人の人が幸せになれるんでしょう たくさんなればいいね」

開高健

「見えざる危機は「自分の心」ですね 自分の心以上に危機を孕むものはないですね」
「人間の心というのは いつ何をたくらむかわからない 自分の心という問題が 最大の危機 やと思いますよ」
「外から来る危機というのはありますよ 外側から来る危機に対しては人間は割合に抵抗の術を知ってるんですが 自分の心に生じてくる危機に対しては手のつけようがないですね」
「私にとっての最大の危機は、私の心です。私が生きている限り」

三島由紀夫

「今の青年には、死が生の前提になっている、という緊張した状態にはない」
「人間というものは不思議なもので 自分のためだけに生きて 自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない」

宮本常一

「旅をするのにうかうかとしてちゃいけない どんな家があるか それは瓦葺か草葺か あるいは 田や畑を見て土の色はどうなのか そこに埋まっているのはどういうものなのか 汽車が駅に止まったとき、荷積みの場所にどんな荷が積んであるのか、あるいは乗り降りする客はどんな支度をしているのか そういうことにいちいち、目を止めて見る必要がある」
「特に旅をする場合に大事なことは 道に迷わないようにすること その土地がどんな土地であるかということをみること それには高いところへ上がれ」

赤塚不二夫

「自分が最低だと思ってればいいの みんなより 一番劣ると思ってればいいのよ そしたらね みんなの言ってることがね ちゃんと頭に入ってくる 自分が偉いと思ってるとね 人はね 何も言ってくれない てめえが一番バカになればいいの だからぼくはフジオちゃんで通ってるの この65にもなってもね」

槌谷雄高

「日本はですね うんと殺して、うんと死んだわけですよ、戦争で 自分がやってきたことをやれなかったやつがうんといるわけだから 僕がやらなくちゃ 精神のリレーをですね 死んだ人とリレーをやっているわけですよ 仲間なんですよ 人類は全部精神によって
ぼくがギリシャの哲学者のものを読んでわかるということは全部友達なんですよ!精神を共有して、リレーして、それをまた誰かにつなげなきゃ、僕は」

安部公房

「生産という対応なしに金だけが自己増殖していったら これは経済が崩壊するんじゃないか 現代の危機というのはかなりその問題が含まれていて 我々がコントロールできなくなった」
「人間は破滅のために発生したことになりかねない」

司馬遼太郎

「日本人は自己を解剖することに臆病なところがある これから世界の人間として我々が付き合ってもらえるようになるためには 真心というものを世界の人間に対して持たなきゃいけない、そして自分自身に持たなきゃいけない」

水木しげる

「結局 あわただしすぎるんですね 日本の毎日の生活というのが だから幸せを感じる余裕がないんじゃないですかね」
「人間は生きながら解放されることが最高なんじゃないですか」

手塚治虫

「よく「手塚治虫の漫画は荒唐無稽だ」と言われることがあるんですけれども 荒唐無稽という言葉はそんなに悪いものでしょうか」
「荒唐無稽あるいは夢の中に 日本人が忘れている大変重要な要素があるのではないか」

辺見庸

地下鉄サリン事件の現場から

「通勤者は通常通り、出勤を急ぐわけです、被害者たちは横たわったり壁に背を預けたりして、非常に苦しんだりしているわけです。私が目撃したのは、大多数の通勤者たちがその被害者たちをまたぐようにして出勤を急いでいる姿だったわけです。これはたぶん、通勤者たちも、新聞記者たちも、犯人も、非常に職務に忠実だったのではないか。指示する者と指示される者がいて、その指示される者が指示に対して非常に忠実に動いたのではないか。私は非常にそれが日本的な現象に思えてしょうがなかったわけなんです」

押井守

「ヴァーチャルの現実というのは、それぞれの人間の固有の時間のことではないか。固有の時間まで干渉されてしまうと、それを許されないような環境ができると、たぶん、人間というのは破滅するのではないか」

養老孟司

「それじゃあ現実はなんだ、っていう定義なんですけど、ぼくは虫が好きでね。たとえばね、道を歩いてて拾うのはぼくは虫なんですよ。普通の人は100円玉拾うと思うんだけど。なんで拾っちゃうかというと、見えちゃうからでしょ?見てるものが違うんだ、と。そこでもう現実が違うということが歴然としているわけね。その場合の現実というのはなにかというと、ぼくの行動に影響するもの。ぼくの場合は100円玉より虫の方が現実だから虫を拾ってるんです。人間の現実というのはそういうものだと思うんです。」

ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマは「いやし」ができるという人がいます しかし 私にはそんな力はありません 「いやし」の力があるという人を私は疑っています よく冗談で言うんですが もし「いやし」の力があるなら まず自分の湿疹を治しています(後頭部をさすりながら) ここがちょっと痒いんですよ」
ブッダやキリストがここに現れても人間の問題は残っていると思います 我々自身が努力し 少しずつ変えていくしかありません どんな力を持っていても 誰が来ても 一夜で状況が変わることはありません」

立花隆

911テロで死んだ人の数は約3000人。それに対して広島に落ちた原爆で死んだ人の数は何人いると思う?20万人ですよ。後遺症などによるものも含めれば30万人になる。それほど莫大な被害をもたらしたあの戦争の時代のことを今の人はほとんど忘れていて、911テロのほうがはるかに大きな事件として捉えている。本当の歴史を見るときに、ちゃんと数字を踏まえて、そのときそこでなにが起きたのか、ということをちゃんと理解しないといけない」
「糸井さんがさっき使った言葉で「精神の兌換紙幣」というのはものすごくいい言葉だと思うんですよ、でもその言葉だと今の世間では通用しなくて、「精神の金本位制」と言えばいいんですよ。だけど、精神にとって「金」とはなんなのか、それをもう一回考え直すべきなんですよ。」

番外編

糸井重里
「さっきのね、ジュリアナごっこやっててましたとかね、子供たちのオウムごっこというのはね、主語があるんですよ。「私がそこで遊んでました」っていう。だけど、911の話とかオウムの話とか第二次世界大戦の話で、みんながみんな、主語のない話をし始めるんですよ。つまり、俺にとってどう影響するかわかんないのに語り合う、というところに必ず行くわけで。結局全部知れっていうことになるか、なんにも知りたくないになるか、どっちかになっちゃうわけで、やっぱり僕は主語を取り戻すべきだと思っている」
太田光
「インターネットで「太田死ね」と言われることがものすごく多いんですけど、それを見たときはすごいショックだったわけですよ。もう慣れましたけど、あるとき「太田殺す」という書き込みがあったんですね。殺す、と言っちゃうと脅迫になるんですね。で、ぼくは被害届けを出してそいつは捕まったんですね。だけどね、ぼくはね、「太田死ね」という書き込みよりも「太田殺す」という書き込みのほうが、嬉しいというとなんだけど、安心できたんですよ。それはまさに主語があるわけで「自分が殺す」ということだから、勝手に死ねよと言われると「死んでほしいんだけどなおかつ俺は直接手を下さないというね、なにかその、ものすごく突き放されているこの世の中にっていう感じがするんだけど、彼が「太田を殺す」と言った時点で自分もリスク背負ったな、っていう、なんていうか、それは温かみといったら変だけども……」
糸井重里
「変な言い方だけど、その「殺す」と言った人の中には、さっき司馬遼太郎さんが言った真心というものの、言い方の違うなにか嫌なものがあると思う……真心というのか、魂というのか、心というのかわかんないけど……」