泥と僕と僕の生きる道

泥にあたって気分が落ちています

まず、前回のエントリに書いた悩みですが、まったく進展を見せていません。そんな簡単にファイナルアンサー見つかるわけない。みのもんたのタメ以上に僕は持ち時間使いますからね。ええ。だけど、新しい悩みの種は見つかりました。ある意味進展していますね!(棒読み)(寿命が縮んでる的な意味で)
「IT企業はほんとに泥のように働かされるのか」――東大でイベント:ナナロク世代が答えました - @IT
泥カンについて一言 - 日記を書く [・w・] はやみずさん
IT業界についていろいろと考えていたらだんだん脳が泥のように素敵になり始めて、本気で仕事をやめたいとか思い始めてしまった。泥関連のエントリを読みふけっていって、どんどん陰鬱な気分になっている自分がすごく嫌になった。おええ。なんでこんなに泥の威力すごいの?何なの?超必殺技なの?超マジで必ず殺す技なの?

僕は死ぬように 生きていたくはない

今僕が考えている悩みというのは、前回のエントリにもあったように「社内のキャリアパス」が見えない状況で、いつかまたふりかかってくるかもしれない「泥」というリスクを考慮して、もういっそのこと仕事をやめちゃったほうがいいんじゃない、とかそういうことです。

いやそれなんて若者?発想安易じゃね?と言われそうですが、そろそろ自分の身の振り方を考えて、ある程度自分の「方向性」を決めておかないと、僕がもっとも恐れる「惰性で会社に残り続ける」状況になりかねないところもあって。今の会社で仕事を続けるにせよ、IT業界で別の会社で仕事をするにせよ、はたまた、まったく異なる業界業種で仕事をするにせよ、社会人になってから5年目の今年こそ「決断すべきとき」なのではないか、とか思うようになりました。

実際のところ、ある程度無理をかけないと能力は向上しない。もっとも無理すぎると壊れる。非科学的なものいいで恐縮だけど、自分の能力120%というところか。150%とかかけると壊れる。100%だと飽きる。このあたりの「筋トレと拷問の境」は、年齢によっても違う。もちろん若いときの方が過負荷に対する耐久性は高い。その意味で25歳というのは、一番過負荷耐久性が高く、一番その負荷に耐え切った時に成長する余地が大きな年齢層だと思う。0x25歳の今、当時と同率の過負荷を自分にかけたら、確実に壊れる。実にうらやましい。
404 Blog Not Found:YesなくしてNoなし

負荷耐久性の高いこの時期に、僕は自分の方向性についてコミットしたいんです。ただその一方で、「やるべきことは本当にできているか」「将来の不安を払拭したいだけなのでは」という思いもあったりします。うわーなんか赤裸々になってきたー

あと、少し話がずれるかもしれませんけど、仕事やめるのって実はすごく怖い。そういう恐怖心と自分はいかに戦えるか、というところを自身が知りたいという内的な好奇心もあるのかもしれない。今は、自分のこと、会社のこと、業界のことを総合的に見て、もう少し考えたいと思っています。

泥について語り明かしたい

さて、泥ですが、ていうか「泥」とか言ってる時点でうんざりしてしまうんですけれども、ここはぐっとこらえて、僕が思う「泥」とは、自分の許容量を超えるような仕事のことだと考えています。自分自身が壊れるか壊れないかの瀬戸際ぐらいの、仕事量だったり難易度だったり。ストレスフルな状況が続いたり、だとか。

僕は過去に一度だけ泥まみれになった結果、壊れかけたことがありました。(書いてて自分で気付きましたけど、自分のコンプレックスになってますね。傍から見たらもう「壊れていた」かもしれないです)それ以来、泥を見たいと思わなくなりました。誰もがひがやすおさんのように、泥の中でもがいた結果、スキルと自信を身につけられた!というふうにはなかなかいかないですよ。当然何かを得ることはできたとしても、その代償があまりにも大きいこともある。

というわけで、業界業種など関係なくみなさんにひとつだけお願い。もしこのエントリを読んでくださったのなら、ぜひ聞かせてください。あなたは泥を味わったことがありますか?どんな泥でした?そこから何を得られて、何を失いましたか?