言葉では表せない曖昧な感情を、ギターで鳴らせばいい

突然ではございますが、昨年末のCOUNTDOWN JAPAN 06/07のライブを最後に、ギター・大村達身くるりを離れることになりました。
 

くるりより皆様に大切なお知らせ

うわーまじかー、といった感じ。
 
残念、というとおこがましい気がするし、だからといってその勇気ある決断を認める、というのもどこか気が引ける。なんというか、くるりのメンバー脱退という出来事は既に何度か経験していることだけれども、毎度毎度心苦しく感じてしまうところがどうしてもあって、でもその出来事そのものにはなぜかポジティブな部分さえ見えてしまうから不思議なものだ。
 
26日付けの岸田くんの日記にはこう書かれている。
 

たくさんの同期?のバンドが解散や活動停止に追い込まれる中で、諦め悪くずっと転がり続けているのには明確な理由がある。くるりが結成当初やりたかったことと今のくるりがやろうとしていることが天然記念物並みに変わっていないからだ。
 

http://www.quruli.net/cgi-bin/diary.cgi?todo=detail&date=20070226

ポジティブだ。あまりにポジティブだ。脱退の発表と同時にファンへ送るメッセージにしては、あまりにポジティブすぎやしないか。いや、これは「ポジティブ」なのではなくて、「ストイック」なのかな。岸田くんはなぜここまで自分にストイックになれるんだろうか。自らに敢えて試練を与えているようにも見える。
 
くるりは、10年前と同じ目標を今も持っている。ふと自分を振り返る。何も出来ていない自分の情けなさがまざまざと感じられる。今の目標を10年後も持つ、ということにどれほどの意味があるのかはよくわからないし、10年たったときにどのような心境になるのかは想像もできない。けれども、僕が生きるこの世界にくるりというかけがえのないバンド、素晴らしい音楽を奏でるバンドがいるということを、僕は幸せに感じる。
 
 
とは書いてみたものの、やっぱりかなり感傷的になってしまっていますよね。上の文章。なんだかなあ。