生き方による。それだけ。

前提

中の人のスペック:奈良県生まれ 東京在住

都会と田舎の違い

 くどいようだが、繰り返す。どちらがいいとか悪いとかいう問題ではない。都会と田舎の違いというものは、究極的には二つしかない。地域全体が「なかよし」であることを強要されるか、それともばらばらの個人として存在しているか。もうひとつは、そこに大量の人間がいるかどうか。それだけだ。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090506/1241560453

すごく同意。場所にもよるけど「なかよし」を強要されない地域も多くあると思う。個人的な実感としては実家に22年ほど過ごしてきて、「なかよし」を強要される形で生きてきた、あるいは家族がそのような立場で社会と接していたというような記憶はあまり残ってない。

「田舎の人たちの寄せ集めが東京じゃね」説

5年ほど前に奈良から東京に来たとき、「東京の人って冷たいなあ。。。」って脳内イメージが先行してたけど、なんだかんだ東京で生活していくうちに思ったのは「ていうか東京の人の大半って田舎から集まってきた人たちで構成されているんだから、要は田舎の人の集まりなんじゃね?」ということだった。で、田舎とは異なる環境に身を置いた田舎の人たちが周囲への警戒心を強めた結果として「東京の人は冷たい」というイメージ(現象?)が世間に広まったんじゃないかとさえ思うようになったけど、実際はどうかは知らないです。

まあ要するに「都会と田舎の違い」なんてその程度くらいのものなんじゃないかと思うし、いずれにしても簡単に「都会/田舎がいい/悪い」という話で片付くものではないよなあと。

都会に住む人はそんなに偉いのか

 これからの日本の課題は、「循環する円環的時間感覚」と「発展する直線的時間感覚」という二つの宗教の主導権争いと捉えるべきではないかと思う。100年戦争をやって互いに疲弊してしまう前に、何とかそこに深入りしないで現世のことを片付けていく知恵を見つけなくてはならない。
田舎の人は循環する時間という「宗教」を信仰している - アンカテ

それに対してこちらはよくわからなかった。な、なんかものすごい壮大な話になってるし……。

なんというか「田舎の人は循環する時間という宗教を信仰している」みたいな、なぜか宗教のエッセンスを取り入れた形で田舎者批判をするか意味わからんしそこからは何も生まれないやんけ、と思ってしまうのが田舎生まれ田舎育ちの性根でありまして、だったら、東京生まれヒップホップ育ちの人は直線的に発展する時間の中でライムをフローに乗せちゃって今を生きてるわけですか?とイジワルく思ってしまうのは僕の性格が悪いからですかそうですか。

生き方によるでしょ

極論かもしれないけども。

東京にはいろんな人がいて、いろんな仕事があって、いろんな機会に恵まれる。

「恵まれる」というと良いように聞こえるけど、その機会で失敗を犯すこともありえるわけだからある意味では「リスク」なわけで、そのたくさん降りかかってくる機会を「これは絶好のチャンス」と常に前向きに捉えることができるか、あるいは時には煩わしいなと「ノイズ」と捉えるか。そこにいい悪いは存在しなくて、どちらを選択するかは生き方や考え方によって人それぞれなわけだから、イケイケドンドンの人は都会に住んで多くの機会をチャンスと捉えて生きていけばいいし、自分のペースを守りたい人は田舎に住んでじっくりと自分の時間を有意義に過ごせばいいと思う。もちろん都会に住んで自分のタイミングでチャンスを待つのもよし。

結局は都会に住むか田舎に住むかは生き方による、それだけなんじゃないかなあ。