ゾウさんが好きです。でも梅田望夫のほうがもーっと好きです

絶賛炎上中

はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。
http://twitter.com/mochioumeda/status/996601415

今回の騒動で、僕はぼんやりと「これがもっちーだよなあ」と思ったりしました。

"梅田望夫"の表と裏

僕は、"梅田望夫"には表の梅田望夫と裏の梅田望夫があると思っています。

表の梅田望夫とは、普段Webや書籍などで通じて僕たちが知っている"梅田望夫"のこと。id:umedamochio。日本というある種の閉鎖空間に"Web"という開放空間の存在とその魅力についてポジティブに説く男。その前向きな姿勢に多くの人々が共感しています。その一方で強烈なまでに合理主義で、完璧主義。無駄な時間を費やすことが嫌いで、いかに自分の自由な時間を獲得するか、という一点に惜しみなく努力と苦労を注ぎ込んでいて、その結果、誰にも邪魔されない思考の時間を重ねる環境をシリコンバレーに置き、知的生活を送り続けています。

僕の場合はある時から、自宅のあるアメリカのシリコンバレーでは可能な限り人に会わず、物理的な移動をしない、というルールにしたことで、知的活動に割ける時間が一気に増えました。今は一日中研究したり勉強したりしていると言ってもいいくらいです。そして、そこで得たものをムダにしないよう情報の整理に心を砕いているのは、既に述べたとおりです。
(中略)
僕はグーグル以前から、そういった技を身に付けてきたつもりです。だから、旧来の整理が必要なくなり、知的生産の始まりとしての整理に集中できるようになったことで、自分の力が急激に増幅され、知的生産の効率が飛躍的に高まりました。グーグルが僕にエンジンをつけてくれたような感動があります。その結果、僕は『ウェブ進化論』のような本を書けた。僕は最近寿命が延びたような感じさえするんですよ。効率がよくなって時間がますます凝縮されたから、でしょうね。
(中略)
何事についても、僕が考えるときの軸はまず時間なんですね。いわば「唯時間論」。知的生産の工夫についても、全部時間を切り口に説明できます。自分の自由にできる時間をいかにたくさん生み出すか。そればかり考えている。
グーグルに淘汰されない知的生産術 - My Life Between Silicon Valley and Japan

自己管理のひとつもできずに日々の仕事に追われてろくに自分の時間もとれないし、自分の時間がとれたからといってもその時間を惜しみなく学ぶことに費やすほどの勤勉でもない、僕のような凡人からすれば、尊敬する存在というのも気が引けるほどの存在、完全なる存在。梅田望夫

じゃあ「裏の梅田望夫」ってなに?

生身の梅田望夫さん

僕が思うに、裏の梅田望夫というのは、感情が爆発したときの梅田望夫さんのことを指します。普段とは全く似て非なる、生身の梅田望夫さんのこと。*1彼の中で何かがプツンと切れるように言葉がとめどなく溢れ出てくるような、場の空気を読まずに言ってはいけない言葉をつい言ってしまうような、脳にLANケーブルをぶち込んで頭の中にある訳のわからない思念のようなものをなんとか言葉に変換して紡ぎだすような、そんな辛いのか楽しいのかよくわからない作業をやっている梅田望夫さんのこと。This is もっちー!

このtwitterのpostを書いたときに梅田さんが実際上に書いたようなことが起きていたのかどうかはさておき、今回の一連の流れの中で相当感情的になったのだろうなあ、ということだけは言葉から如実に見えてきますよね。

で、ここで僕はふと梅田さんが過去に書いたあのエントリを思い出したのでした。

感情の溢れる言葉こそが共感を呼ぶ

僕だって君たちを見ていて、悪いところとか、足りないところとか、たくさん見えるよ。でもそんなことを指摘して何になる?

それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ。
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

このエントリはたしか梅田さんがお酒を飲んだあとに書いた文章だと言っていたと思いますが、まさにこの文章は普段の"梅田望夫"ではない、感情的になった梅田さんの溢れんばかりの思いが言葉として綴られていて、そこに多くの人々が共感し、心のどこかを強く突き動かされたのだと思います。

そう考えると今回のケースと似てるなあ、と。

そして、僕はどこかで「生身の梅田望夫さん」を欲していたんじゃないかなあ、と思ったりしました。普段見せない「ホンネ」の部分、周りの視線を気にせずに自分の心情を吐露してほしいという思いが僕の心のどこかにあったんじゃないか、と。

ぼくはもっちーが好きですよ

僕はリアル/ネットに関わらず、周りの人との関わり合いの中で喜びや悲しみといったストレートな相手の感情が自分の心を突き動かし、それが自分のエネルギーになるのだと思っているわけですが、今回のtwitterのpostに対しても、人々は怒ったり共感したりして自らのエネルギーをため込んだり発散しているのだと思うと、なんだかんだ言ってみんなもっちーのことが好きなんじゃないか、とさえ思う今日この頃です。

少なくとも僕は、感情を露わにする梅田さんを現実ではなくて、相手との距離感を圧倒的に縮める"Web"を通じて垣間見ることができたのが、ちょっぴり嬉しかったりしました。そんな梅田さんこそが「もっちー」なわけで、僕は冒頭の思いにふけったわけですが、そんなもっちーがぼくは好きですよ。


なんかラブレターみたいになったなあ

ちなみに

タイトルはホッテントリメーカーで作りました。たしかにゾウさんよりはもっちーのほうが好きなので採用しました。今は反省している

*1:表の梅田望夫は僕にとって遠い存在であり、記号のようなもの。裏の梅田望夫こそが彼の人間的な一面を顕していると思うのでここで「さん」付けをさせていただきます。