テラヤマアニさんのアレの件

についてリンクなどは貼らないが、僕はこの一件になぜか感銘を覚えている。が、それは「愛」がどうこうというはなしでは決してない。愛という言葉はあまりにも大きすぎて、自らその愛という言葉をコントロールすることなどできやしない。言葉で行われるコミュニケーションには必ず理解と相違が含まれていて、なのに僕たちはそのことを一切意識しない。というか少なくともコミュニケーションをとっているあいだはまず気づかない。そしてそのあとではたと自分の発した言葉の、事の大きさに気づいたりする。頭のいい人間にもそれはきっとある。
 
愛とか絶対とかという言葉は、安易に使ってはいけないのだ。
 
それを痛感したうえで、僕がなぜか感銘を覚えてしまっているのは、ネットにおいて言葉の相違、環境の相違、思想の相違がここまで如実に現れたのはまずなく、その相違が浮かび上がったうえで双方が言葉だけを頼りにお互いの距離を縮めたという事実に僕は何かを感じたのだと思った。
 
縮まった距離がどんなに小さなものであっても、それが両者にとっての第一歩ならば、それは非常に重要で大切な出来事であるように思うのだ。だって歩み寄らなければ何も始まらないだろう?個人も集団もネットもリアルも関係ない。結局はぼく一人の判断が今日という日を決めるのであり、あなたの判断がこれからの世界を変えるのである。
 
希望の歌を歌うだけでは何も始まらないのである。