病める時も健やかなる時もお金
漫画のような現実
お金がないこのヒリヒリした感じは嫌いじゃない。なんだか自分が確かに生きてるという実感がある。しびれる。こんな気持ちになるのは生まれて初めてかもしれない。これこそが僕がニートになることで欲していたものかもしれない。
本気でお金がなくなってきた - phaの日記
なんかギリギリであるからこそ得られる強さがある気がするんですよね。必然性が大事とか。自分の皮膚感覚でよくわかんないことははねのける直感力とか。
僕が仕事を辞める勇気を持てた理由 - phaの日記
物語序盤にすげーぐだぐだしたあとに「やっぱこのままじゃダメじゃん!」って気づくときのカイジみたい。
カイジのように才能とセンスを爆発させてほしい。漫画のようにはうまくいかないだろうけど。
お金に対する感覚
それにしてもブクマコメント読んでみると「お金に対する感覚」というのが人それぞれで、てんでバラバラだなあと改めて感じた次第。皮肉とかではなく単純におもしろかった。
- 金はあったほうがいいに決まってる派
- 金はなくてもそれなりにやっていけるでしょ派
- 不慮のトラブルに対応できるくらいのお金は持っておくべき派
- 仕事を楽しめば金は回ってくるよ派
- 死ぬな派
育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないよね。みんな年収いくらで、貯金はどれくらいで、親はいくらぐらい稼いでいるのか知りたいなあ。けっこうきれいに分類わけできそうな気がする。
あと、「金がない、働かない、稼がない奴は死ね」「乞食乙」とか言ってる人は人間を判断する基準のひとつが「お金」なんだろうなあとか思いました。お金おいしいもんね。
つながる、ということ
で、ネットだけで生きていくためには「Webサービスをビジネスに昇華するかどうか」みたいなところがポイントのような気もするけど、少なくともアフィリのみで生きていきたい、というスタンスは日本では厳しいような気がするなあ。海外のアフィリエイトの額は日本の数十倍だった記憶。一般的に日本でのアフィリは副業感覚かと。そういう意味ではバイトしながらアフィリで稼ぐ、というやり方でもわりと贅沢な生活ができる気もする。
究極的には
- 日本でお金を稼ぐために仕事をやる
- 極力仕事をせずに安い生活費で生きていくために海外に移住する、でも友達いない*1
みたいな選択肢になるんじゃないのかなあ。
「友達に会える会えない」と書くとアレだけど、「社会と接していけるかどうか」というところが意外と生きていく上で大事なところなんじゃないかと思ってます。個人的には「仕事をする」=「社会とつながっている」という感覚が大きい。
もっと具体的に言うと、他人と一緒に仕事を進めていくことによる連帯感、かな。すげー寂しがりやみたいだけど。実際寂しがりやです。そこまでのつながりをインターネットから得られた経験が個人的にないので、今のところ「インターネット」=「社会とのつながり」とはなっていなくて、あくまで「他人とのゆるーい接触」程度の感覚でしかない。アクセス数のハンパないサービスを作ったりしている人はそこで「インターネット」=「社会とのつながり」と感じるかもしれないですね。
タイトルはみなさんご存じホッテントリメーカーにて作成いたしました。当ブログはphaさんをゆるやかに応援しています。
*1:言葉がわかるならまったく問題はないですね