祝うこと、祝ってもらうこと

ハッピーバースデイ

昨日、27回目の誕生日を迎えることができました。
自分が想像もしていなかったところから、リアルからネットから、さまざまな方からお祝いのお言葉をいただきました。嬉しかった!本当にありがとうございました。

「祝ってもらう」という行為はおそらくとてもプリミティブな感情を喚起させてくれるもので、なんというか、「嬉しい」とか「喜ぶ」みたいなものの、もっと純粋で、透き通った水のような感情が胸の中に広がる感覚がありました。

言葉というものは取り扱いが難しいもので

インターネットを「祝祭的空間」と考えるのはあまりにも都合がよいのかもしれませんけど、祝うほうも祝われるほうもやっぱり気分は良いはずなわけで、そういう「言葉から生み出される気持ちよさ」というものはリアルでもネットでも常に意識しておきたい、と思うようになったのはこの一年で学んだところ。

ただでさえネットというものは言葉を意識せずに使ってしまう空間なんですけれども、特にtwitterのような、自分の考えをどんどん垂れ流していくようなサービスを使い始めると「言葉」に対する意識がさらに希薄になっていって、他の人の発言にも鈍感になっていってしまう傾向があると思います。そういう環境に浸っていると、このままでは自分の考えや思想を「言葉」の中に込めることが困難になってくるのではないか、という思いをいつからか感じるようになりました。表現が稚拙だったり、言葉の選び方が下手くそだったり、というような。その一方で、自分の言葉に対して、自分が思っている以上に自分自身が無意識に反応しているような感覚もあったり。

シンプル・イズ・ベスト

というのを踏まえて考えてみると、「祝う」「祝ってもらう」という行為はかなり原始的というか、表現がシンプルで伝わりやすいものなんですよね。「おめでとう!」「ありがとう!」だけのやりとりだけど、でもお互いの思いは伝わってる、みたいな。そういった無駄なものをそぎ落としつつも、伝えたい思いが言葉に詰まっている、そんな"コミュニケーション"を日々やっていけたらなあ、などと思ったりしています。

といった感じでリアルでもネットでも試行錯誤しながら生きていっているわけですが、少なくともリアル/ネット共に素晴らしい空間が存在しているこの2008年に自分が生きていることを、感謝するというよりはラッキーだなあ、と感じながら、さらにこの先の人生とネットライフをいかに楽しむか、という姿勢でこれからもマイペースにやっていきたいと思う誕生日でした。

今後ともどうぞよろしく。