Wiiの可能性

最近もっぱらネット界隈でWii関連の動画を見るたびに、目をひんむいて驚き、笑い、叫ぶ行為を繰り返していますけれども、実をいうと僕は高校生のときにゲームをやめてしまった人間でそれからプレステ2が出てもPSPが出てもまったく興味もなく過ごしてきましたが、今回ばかりはさすがに興奮してモニターに食らいつきまくってます。
 
それぐらいすごいですよ、これ。

Wii Tennis
http://www.youtube.com/watch?v=g7Ql527bXa0

マリオの生みの親である宮本さんは、本当に心からゲームが好きなんだと思う。そう思わせてくれる。そんな映像だと思った。だって、この動画で出てくる宮本さん、すげえ少年みたいな笑顔なんだもん!
 
あの笑顔がなかなか忘れられない。久しぶりにあの頃感じていた「ゲームをやりたい」という気持ちが自分の中に起きはじめています。Nintendo DSの「Mother3」が出たときもぐっとくるものがあったけど、今回のはさらにきてます。Wii欲しい。
 
以下、戯言。


ここで改めて思うのは、ゲームに大切なのは映像ではなくて、音楽でもなくて、やっぱり「楽しい」かどうかだなあということです。
 
昔のゲーム、主にファミコンなどのゲームというのは今の時代のゲームからは想像できないほどチープな映像とチープな音楽が流れていて、そこで問われるのはまさにゲーム性であり、どれだけゲームの中の設定がユニークで、ルールがユニークなのか、その部分がプレーヤーが楽しいかどうかにつながり、おもしろいかおもしろくないかの基準になっていたわけです。
 
そこにプレステがやってきて、映像・音声の向上化、ライトユーザー向けソフトの開発など、任天堂が手を付けてこなかった部分の新規開拓をソニーがガツガツとやっていきSCE一強時代が到来したわけなんですけれども、その後PS2X-BOXゲームキューブなどのハードやPSPやDSなどのポータブルハードウェアが出始めて、ゲーム機そのものに徐々に幅がでてきて、多様化してきたなかで、今こそゲーム本来の面白さを見つめ直す時が来たように思うんですね。あくまで個人的にですけど。というかむしろそこを求める人が多くなってきたのかもしれませんけど。
 
で、このWiiは「ゲームの中の設定」ではなくて「ゲームの外の設定」、つまりゲームとユーザーとの唯一のインターフェースとなるコントローラを劇的に変えたことで、ファミコンにおける「ゲーム性」とはまた異なる新たな「ゲーム性」を引き出し、それをゲームの面白さに昇華しているということです。そこが素晴らしい。
 
ふと考えてみると、我々より下の世代は冗談抜きでプレステしか知らない世代なわけで、まあこんな文章書いたら「ファミコン?はあ?はいはい、大人の回顧わろすわろすw」とか思われたりするんだろうけども、この単なる「Tennis」というゲームが、僕らにとっても、下の世代の子供たちにとっても、上の世代の大人たちにとっても、新しい「Tennis」となることは間違いない。
 
その意味で僕は、宮本さんのような少年の気持ちで純粋にゲームをやりたい、と強く感じています。本当に、楽しみです。