眠れない

そりゃあ夕方の5時に起きたので眠れるわけもなく、明日の朝はまた起きれないのだろうかと不安に思いながらも、試験勉強中になぜか無性に部屋を片付けたくなるあの気持ちよろしく、部屋を片付けていたら2001年1月1日の新潮文庫の新聞広告が出てきた。

  • 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

――雪国 川端康成

  • メロスは激怒した。

――走れメロス 太宰治

  • 後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。

――野菊の墓 伊藤左千夫
(中略)
 
「はじめ」だけを集めたのに、読みごたえはじゅうぶん。(以下略)

こうやって名作、傑作の序文が30以上羅列されているのをひとつひとつを読んでみると、これまでの自分の読書の足りなさが計り知れてしまって、なんだかなあと思ってしまった。思えば昔の名著と呼ばれるものはそれほど読んでおらず、ここ10年ほどで話題になったもの、テレビやネットや知り合いから情報を仕入れて手に取ったものぐらいしか読んでこなかった。だからはっきり言って自分の読書歴は浅く少ないものと言えてしまうんだろうけど、それは文章の端々に表れているだろうから言うまでもないですね。
 
同世代(20代前半ぐらい)の人の読書歴ってどんなもんなんだろう?世代で言うとちょうどテレビやネットの恩恵を強く受けた世代だから、家に帰ったら即バリバリ読書!っていう人を除けば、それなりに読書をこなしてきた人か全く読まない人かに分かれるんだろうなあ。そこの分岐はきっと物心つく前にどんな生活してたかによるのかもしれない。小中学生の段階でちょっとでも読書をカジってたら今でも読書の習慣を持ってる人って多いと思う。
 
まあそもそも読書一切しませんって人はこんなトコには行き着かないんでしょうけど。いや、ブログはその読書皆無層も取り込んでいるのかもしれない?あーそれはおおいにあるな。だとしたら、これってものすごく怖いことかもしれませんね。本とかまったく読みませんプーという人が描くブログ、それに呼応して本とかまったく読みませんプーという人が書き込むコメント、そしてその界隈で拡がっていく本とかまったく読みませんプーという人たちによるトラックバック
 
ある意味、「あちら側」だけで済ませておきたい事実。Web-2.0。ここはこわいインターネットですね。